D・カーネギーの「人を動かす」を読みました。
以下の記事でもこの本のエッセンスを紹介していますが、
またまた、ごく一部だけ抜粋して紹介します。
この本は私が尊敬する斎藤一人さんがある本の中でお薦めしてくれていた本です。
是非、興味がある方は読んでみてください。
仕事の中での人間との関わり方以外にも、家庭や友人など、全ての人間関係において参考になる良書です。
人は「自分が悪い」とは思わない生き物
アメリカの偉大な実業家で、デパート王と称されるワナメーカー百貨店の創業者、ジョン・ワナメーカーは数々の名言を世に残していますが、この本の中で彼のこんな言葉が紹介されていました。
30年前に、私は人を叱りつけるのは愚の骨頂だと悟った。
自分のことさえ、自分では思うようにならない。
神様が万人に平等の知能を与え賜らなかったことにまで腹を立てたりする余裕はとてもない。
また、アメリカ、ニューヨークで歴史に残る凶悪殺人鬼「2丁ピストルのクローレー」の話が紹介されていました。
彼は余りに些細な、針の先ほどのきっかけでも簡単に人を殺してしまったそうです。
彼が逮捕されるきっかけとなったニューヨークの立てこもり銃撃戦の最中、立てこもり犯のクローレーは関係者各位宛に手紙を書いていたそうです。
その中でクローレーは自分の事を「優しい心を持つ」「誰も傷つけようとは思わぬ心を持つ」と分析していた一節があったそうです。
しかしこの立てこもり事件を起こす少し前には、車を停めて車内で彼女とイチャイチャしているところに警官が職務質問をしてきました。
するとすぐさま有無もなく警官を射殺してしまったばかりです。
彼の最期、刑務所の電気椅子の上で最後に語った言葉は「こんなにも多くの人を殺してしまったのだから仕方ない」ではなく、「自分の身を守っただけのことなのに、こんな事にあわされるのか」だそうです。
アメリカの刑務所の受刑者で自分が悪いと考えている人は殆どいなく、大半は彼らなりの正当な理由があり、自分の行為は正しいと思っているそうです。
あのアルカポネでさえ、大真面目に自分は人一倍の社会貢献者であり非難を浴びる理由はない、と考えていたそうです。
次に、あるアメリカの工場で労働者にヘルメットの着用の義務付けをルール化した実例です。
ヘルメットの着用を怠った従業員に罰則を設けてもなかなか着用が浸透せず、工場長が厳しく叱るとその場では被るが、工場長がいなくなると直ぐに脱いでしまうといった具合でした。
そこで、工場長は被らない従業員に
「ヘルメットのサイズは合っているかい?」
「サイズが合わないと被りづらいからね」
「ヘルメットは暑いし決して快適ではないよね」
「でもこれで安全が確保できるのであれば被る価値はあるよね」
と叱るのでなく対話することによって飛躍的にヘルメットの着用率が上がったそうです。
悪い人間ほど自分の非を棚上げにして、他人や社会、自分以外のせいにします。
しかし悪人だけでなく、私たち一般の人間も同じ傾向があり、他人を責めたくなったときはアルカポネやクローレーの話を思い出し、自分のステージを上げる必要がありそうです。
尊敬を集めたリーダー
第16代アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リーンカーンのお話です。
以下の話はアメリカ南北戦争で結構有名なエピソードですので知っている方は知っていると思いますが・・
奴隷制度を推進して独立をはかる南軍と、それを阻止してアメリカに奴隷制度撤廃と基本的人権をもたらしたい北軍の司令官、リーンカーン大統領。
1863年7月、ペンシルバニア州の南部、ゲティツバーグの激戦が3日間続いていました。
北軍はミード将軍、南軍はリー将軍が率いていました。
4日目、リー将軍率いる南軍が深夜に豪雨の中、こっそり撤退をこころみるが途中、河川の増水で川を渡ることができず立ち往生。
それを聞きつけたリーンカーン大統領は、北軍のミード将軍に追撃して八方塞がりの南軍を撃破せよ、と指令を出します。
また、リーンカーン大統領はミード将軍に、川の増水がおさまってしまう前に直ちに行うよう言い聞かせました。
しかし、ミード将軍は直ぐには動かなかったため、川の増水がおさまり南軍はまんまと南へ撤退してしまうのでした。
この戦争を終わらせる大きなチャンスをミスミス逃したミード将軍にリーンカーンは激怒します。
そしてリーカーン大統領はミード将軍に手紙を書きます。
以下、本から抜粋します。
拝啓
わたしは、将軍リーの脱出によってもたらされる不幸な事態の重大性を、貴下が正しく認識されているとは思えません。
敵はわが掌中にあったのです。
追撃さえすれば、このところわが軍のおさめた戦果とあいまって、戦争は終結にみちびかれたに相違ありません。
しかるに、この好機を逸した現在では、戦争終結の見込みはまったく立たなくなってしまいました。
貴下にとっては、去る月曜日にリーを攻撃するのがもっとも安全だったのです。
それをしも、やれなかったとすれば、彼が対岸に渡ってしまった今となって、彼を攻撃することは、絶対に不可能でしょう。
あの日の兵力の3分の2しか、今では使えないのです。
今後、貴下の活躍に期待することは無理なように思われます。
事実、わたしは期待していません。
幾何は千載一遇の好機をのがしたのです。
そのために、わたしもまたはかり知れない苦しみを味わっています。
これ以上の戦争犠牲者を出さず、奴隷制度をなくし平等な世界をつくることが目前と思われた絶好のチャンスを、自分の指令を守らなかった為にのがしてしまった部下に対して抱いた感情は物凄い怒りだったと想像できます。
しかし、この手紙はリーンカーンの死後、彼の書類の間から発見されたのでした。
結局、この手紙をミード将軍におくることはなかったようです。
リーンカーンは手厳しい非難や詰問は、大抵の場合なんの役にも立たないことを知っていたのでした。
多分、この手紙を受けとったミード将軍は自分の正当性を頭の中で並べ立てただけで、心に響くことはなかったでしょう。
カーネギーはこうも言っています
「死ぬまで人から恨まれたいなら人の批評を好きなようにすればよろしい。その批評が当たっていればいるほど、その効果はてきめんであろう」
「人は理論の動物と思ってはならない、人は感情の動物である。そして偏見に満ち、自尊心と虚栄心で行動することをよく心得ていなければならない」
今回はこの辺で終わりたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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