他人の誤りを指摘しないという考え方は冷たい? | Tekutekuスタイル

他人の誤りを指摘しないという考え方は冷たい?

人生観

この記事のタイトルの「他人の誤りを指摘しないという考え方は冷たい?」という問いですが、下で紹介する「カーネギー」の本を読んだ私の答えは「ノー」です。

 

でも、相手が傷つかないで、笑って済ませる程度ならOKです。

どうしても、業務上などの問題で指摘をせざるを得ないのであれば、相手の面子を最大限守ることを考えて行うべきです。

 

AさんとBさんが対立していて、誰の目から見てもBさんが悪いというケースはどうでしょう。

このケースはAさんとBさんの問題であって、第三者は口を挟まないことが賢明です。

 

そんなことが、この本から学べるんです。

 

 

 

 

人の誤ちを目撃しても死活問題にでもならない限りスルーするのがベスト

300年以上も前に地動説を唱えたガリレオは「人にものを教えることはできない、自ら気づく手助けができるだけだ」と言ったそうです。

さらに、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「私が知っていることはただ一つ、自分が何も知らないということだ」

また、大変な人格者で知られるアメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトは「自分の考えることが百のうち75まで正しければそれは望みうる最高な状態」と人に言っていたそうです。

 

このような歴史に名を残すほどの人でも誤ちはあるし、それを自ら認めているんですから凡人の私たちに他人の誤ちを指摘するのはどうか?と問いています。

 

人の過ちを指摘して正してあげるのは親切だ、と主張する人もいます。

私もそう思っていた時期がありました。

でも、その人の間違いが死活問題ではない限り、指摘する必要はないという意見を聞いた事がありました。

その時、なるほどそうかもしれないと思ったのを覚えています。

 

この本を読むと、それが正しい意見だったんだな、と思わせてくれます。

その人の間違えや過ちを、100%正してあげることなど誰にもできないと解るからです。

人の誤りを指摘して得るものはなし

相手の意見や行為が誤りだと思っても、事実誤りだとしても頭ごなしに否定しても得るものは、自尊心を傷つけられたという相手の想いだけで、こちら側の理論はおいてけぼりになるのが関の山ということです。

意見のぶつかり合いは理論というリングを飛び出して、場外乱闘、つまりお互いの人格を攻撃する事態になることが往々にしてあります。

いくら正論を振りかざして相手を論破したとしても、相手の納得は得られないどころか、心の奥底では自分の意見の正当性をより強固にしてしまうというのです。

それは相手の攻撃に対して、自分の意見に(実は自分の自尊心に)しがみつこうとやっきになるからだそうです。

 

相手の間違えを頭から決めつけて、対策や解決策をのべたり指示、命令を出すやり方では効果がないどころか、相手の自尊心を傷つけ周囲からも敬遠されるのがオチなんです。

相手の誤りを指摘する行為は言葉だけでなく、表情、態度、ジェスチャーなど非言語コミニケーションも含めて全てにおいて往々にして逆の効果をもたらしてしまうという事なんです。

但し、死活問題の場合は例外だと思います。

 

相手の生死に関わる問題、命に関わる仕事に従事している場合、また、組織にとっての死活問題もそうだと思います。

例えば飲食店において、接客マナーの悪さや調理技術に対する問題はそのお店の死活問題に関わります。

経営者は指摘しない理由はありません。

 

ではどうすれば良いのでしょう?

相手の自尊心を傷つけないやりかたで指摘する

「精神の発達過程」の著者ジェームス・ロビンソン教授によると「人はあまり大した抵抗を感じないで自分の考えを変える場合がよくある」

「ところが人から誤りを指摘されると腹を立て意地をはる」と言っています。

 

このちがいは、自尊心を傷つけられるか否かに関わっているといいます。

アメリカの政治家であり物理学者でもあったベンジャミン・フランクリンの自叙伝で、若い頃の彼は人に対してズバズバと相手の誤りを指摘し、とうとう周りには友人が離れていった経験から、「自分としてはこう思うのだが・・・」「私にはそう思えるのだが・・・」「なるほど、そういう場合もあるのだろうが、しかしこの場合は少し事情がちがうように思えるのだが・・・」

 

と自分の意見を伝えるときは相手の自尊心を傷つけないよう配慮したところ、以前より自分の意見がすんなり相手に伝わることに気づいたといっています。

これは営業マン、セールスマンが意見と通すときに使う「yes・but話法」に当たります。

相手の意見を一度肯定してから、「しかし・・・」と自分の意見を述べる技法です。

 

しかし、この話法の下手な使用方法として、「yes」の部分をあまりにもアッサリとさせてしまい、相手には「反論の前置き」を匂わせてしまう場合があります。

「yes」を言う時は心から「そうですね」と納得した姿勢を表すことが大切です。

もっと言うと、「but」の部分も自分から切り出すのではなく、「yes」の肯定のなかで、相手に問題点を気づかせるような質問をおりまぜていく方法が真の「yes・but話法」になります。

つまり、「but」を相手に言わせるのです。

 

なんだかとても難しそうに思えますけど、実は子供のころに同じような話を聞いたことがありませんか?

イソップ童話の「太陽と北風」がそのいい例です。

 

結局力づくで旅人の服を脱がせようとした北風よりも、自分の意志で服を脱がせようとした太陽に軍配は上がりました。

まとめ

 

人の誤りを目にしても、死活問題になければスルーするのがいい。

個人、組織の死活問題に関わるのであれば指摘しなければならない。

そのとき、頭ごなしに指摘しても心の中では決して納得はせず、自分の考えを強固にしてしまう。

 

(タイミング的にそうしなければならなければならない場合もあります、その時は後でフォローを行う必要がある)

自分の意思で考えが変わるように導くのが一番、そのために相手の自尊心を傷つけないような指摘方法をとる。

その方法とは、相手が問題点に気づくような質問をしていく、という事なんですね。

これらを実行しようとしても決して簡単な事ではありません。

それでも、これらを知って意識して行動するのと、しないのとでは時が経つにつれて段々と現れる結果が違ってくるのではないでしょうか。

 

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。

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