怒りが湧いてきたら、一歩止まって考えてみること

スポンサーリンク

ブログに立ち寄って頂き、ありがとうございます!

この記事を気に入って頂けたら、シェアお願いします!

怒りについて考えてみたいと思います。

昨今では「アンガーマネジメント」などの講習も盛んにやられてるためか、怒りのコントロールについて色々とテクニックが紹介されていますね。

怒りは人間が本能的に備わっている自然な感情、抑えるというのは難しいことです。

しかし、怒りも良い行動のモチベーションにつながることもあるという事実だってあります。

例えば、飲酒運転に対しての罰則が重くなった、道路交通法改正の動きは福岡県で起きてしまった「福岡海の中道大橋飲酒運転事故」がきっかけとも言われています。

この事故(事件ともいうべきでしょうか)は遺族や関係者は勿論ですが、世間の飲酒運転に対する「怒り」が立法を突き動かしたとも言えます。

私憤(しふん)と 公憤(こうふん)

怒りは見方によっていろいろな種類に分けることがありますが、その一つの区分けの仕方として「私憤」と「公憤」とがあります。

「私憤」とは自分ごとに対しての怒りになります。

・自分に対して無礼な態度をとられた

・自分のことを侮辱された

・自分に恥をかかせた

・自分を誤解している、理解してくれない

・自分に損害、損傷を与えた

対して「公憤」は社会、世の中に対する理不尽や悪に対しての怒りになります。

自分という領域以外に対しての悪に対して抱く怒りですので、このブログでは自分や家族以外の、「誰か」に向けられる「悪」に対しての怒りも「公憤」として話をすすめていきます。

私憤と気づいたら怒りをあらわにしない

事の度合いにもよりますが、日常のなかではチョイチョイ自分ごとに対する怒りというのを感じることがあると思います。

挨拶にまつわること、自己重要感にまつわること、平等・不公平にまつわること・・・

以前は私もこれらの事で腹を立てたことがありましたね。

今思えばチッチャイです。

「私憤」の場合、攻撃してきた自分にとって「悪」なる相手が明らかに他人の目から見ても「悪」だったとします。

それでも「私憤」からくる怒りをあらわにしてしまった途端、人様から見る「悪」は逆転する可能性が往々にしてあります。

「人間が小さい」「プライドが高い」「呆れた人だ」などなど、起こった出来事よりも感情の方がインパクトとして人の胸に突き刺さります。

そして「私憤」は「近い人」ほど湧き上がりやすい、もっと言うと「遠慮」がない人ほど湧き上がりやすいのです。

例えば、職場の上司が部下に対して、よく「私憤」からくる怒りを示すようであれば、その上司は部下を「所有物」のように考えている可能性がありますね。

逆に下の立場で、上役に対して「私憤」をあらわにすることが多い人は、自己中心的な要素が高いのでしょう。

しかし、「私憤」は根は浅く、永くは続かないと考えられています。

実は「公憤」のう方に恐さが潜んでいる?

対して「公憤」は怒りの矛先が「自分に対しての攻撃者」ではないので、皆の共感を得ることが多くあります。

例えを2つ出しますと、

➀ 一つ目は今回の騒動にもなりました、「舛添東京都知事の退任劇」です。

都民や、それに留まらない国民が「社会の悪」として舛添都知事を攻撃します。

テレビではコメンテーター達が、激しく舛添都知事批判を声高々に訴えます。

コメンテーター達の中には東京都民もいますし、そうでない人もいるでしょう。

そのコメンテーター達は、間接的にはあるかもしれませんが、直接的に何か舛添知事から攻撃を受けた人はいないと思います。

だから「自分という枠を超えて、世の中のために湧き上がった怒り」をあらわにします。

そうすると、視聴者は「そうだ、そうだ!」と正義の側に立って共感します。

もうひとつの例は、厳密には「公憤」とは違いますが、このブログでは同じカテゴリとして使わせて頂きます。

➁ 2例目です。

職場や学校でAさんが、自分ではなくBさんを攻撃したとします。

それを見ていた自分がAさんに対して怒りをあらわに非難します。

事情をしっている周辺の人々が、自分の怒りに対して「もっともだ!」と共感するような例です。

実はこの「公憤」は自分ごとの「私憤」よりもエネルギーが強く、また長きに渡っておさまらないと言います。

先述した道交法改正に繋がった、九州の事故のケースも民衆の「公憤」が後押ししたのです。

ですので、「公憤」には強いパワーと執着があるため、怖さもあることを認識したほうが良さそうです。

例えば、先の②例目の話です。

この場合Bさんを攻撃したAさんが後で受けるダメージは、相当なものがある可能性があるのです。

(実は複雑な事情があり誤解であったとしても、多勢に無勢ではAさんの言い分も皆に届けることが出来ない、もしくは言い分を述べる気力すら喪失してしまう)

また、上司が「自分の為」でなく、「お客様のため」もしくは「会社のため」などの大義名分を掲げて、部下を「怒り」の感情を持って指導してしまうと、いわゆる「公憤」の深い、長い、怒る側にとっても不幸のスパイラルに落ちてしまうので注意が必要です。

このような時こそ、「怒り」を排除して指導にあたらなくては、結局上司も苦しむ事になるのです。

怒りのピークは6秒間という研究結果もあるそうです。

ジッとそのピークが過ぎるのを待ってから、言葉を発するよう努めたいものです。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

この記事を気に入って頂けたら、シェアお願いします!