少し前には「このハゲ―!!」で、豊田真由子元議員のパワハラ行為が世間を騒がせ、その次は、女子レスリング、日大アメフト、ボクシング、体操、日体大駅伝部、スルガ銀行・・・
出るは出るはの、パワハラ告発の連鎖です。
今やスマホがあれば、動画や画像、録音という手段で証拠を残せる時代です。
しかも、これらの手段に出るのは当事者だけとは限りません。
パワハラを許せないと思う周囲の人が、密かに動画に残している可能性だってあります。
実際、体操の宮原選手が体罰を受けている動画は、第三者が撮った映像でしたからね。
パワハラは加害者も被害者も不幸になる、あまりにバカらしい行為です。被害者に対する同情や共感、応援の声は多く飛び交っています。
そこで今回は敢えてパワハラ加害者、日常的にパワハラをしてしまい、それが止まらなくて困っている人向けの話をさせて頂きます。
実は、パワハラをしてしまう側の人も、深く傷つき、後悔の念や罪悪感で悩んでいるケースは山ほどあります。
子供を叱りつけてしまう、それが自分でも驚くほどにエスカレートしてしまう母親も山ほどいます。
指導者による選手へのパワハラという構図に収まらない、体育会系社会はもっと根が深い
テレビを観ていると「暴力はいけない、絶対ダメ」「今はそういう時代じゃない」などのコメントが目立ちますが、コメンテーターの全ての人が本心で言っているのか、自分の胸が痛くなる人はいないのか・・・
と、ついつい疑いの目で見いってしまいますww
なんて・・昔はどうあれ、皆さん今の立場で仕事してますから、しょうがないですけどね。
何が言いたいかというと、皆だれでも、とは言いませんけどコメンテーター側に座っている人たちも含めて、仕事で部下を、家で妻(夫)を、子供を、客として店員を、様々な場面でアウトな人もいるんじゃないかと思うんです。
私は正直、暴力こそなかったですが、仕事で暴言を吐いてしまったことは多々あります。
あ、「パワハラはしょうがない」とか「パワハラ容認」とかを言いたいんじゃないんです。
このパワハラはいけないという、世の中の風潮はより定着すべきだと思います。
パワハラは日本の「体育会系」社会がその正当性を、体育会に生きる人たちの意識に植え込んでいるんだと思います。
そして、その「ゆがんだ正当性」を植え込まれた人たちが、社会人として社会に羽ばたいていくんです。
かくいう私も、小、中、高とサッカー部に所属していたので、体育会的人間関係や、体罰も受けてきました。
でも選手時代に受けていた体罰は、指導者からだけではありません。
中学1年になり、サッカー部へ入部すると小学校まで友達のように接していた1つ年上の先輩が、まるで別人のように先輩風をふかして、完全な上下関係を敷かれます。
サッカーという競技以外の場面でも、廊下ですれ違う時の挨拶、パシリ、カンパなどがほぼ強制的に行われるようになりました。
先輩には「おーぃ、イチネン坊!!」と声がかかると、猛ダッシュで駆け寄り整列です。
もし何か生意気な口答えなどしてしまえば、「シメ」というボコボコ体罰が普通にあったりしました。
このように、生徒間(選手間)の上下関係に、パワハラが生まれやすい考えが刷り込まれます。
1年生は先輩になると、その考えを後輩に植え込みます。
高校に進学すると、スポーツが盛んな学校であればあるほど、その封建的な上下関係はエスカレートします。
今度は先輩、後輩だけでなく、レギュラーと補欠などで待遇格差があったりします。それを選手は「当たり前」と受け止め結果を残そうと、レギュラー争いで勝ち抜こうと切磋琢磨します。
レギュラーを決める権利を持つ監督の言うことは、「絶対」という歪んだ思い込みが刷り込まれていきます。
強豪校であれば、一日、一年の大半をそんな環境下で過ごす事になりますから、パワハラに対する抵抗はなくなり、いわば「当たり前」と洗脳されていきます。
例えばこの環境下で育ち、パワハラへのハードルが低いまま社会人となったAさんがいるとします。
一方で、このような体育会での生活を一切経験せず、内向的な性格のBさんが社会人になったとします。
当然、AさんとBさんとでは、高圧的な態度やパワハラ的発言や行為に対しての、抵抗感は違ってきます。
往々にして、パワハラが起こりやすい職種(営業、調理、肉体労働、警察、消防・・・あ、もうやめときましょ)ほど、Aさんタイプの方が出世していくケースが多いもの。
そして、Aさんタイプが人の上に付くと、もともとパワハラに抵抗が低いため、パワハラ行為を振るってしまう。
こんな背景があるんじゃないでしょうか。
正義の鉄拳 愛のムチはパワハラか
パワハラをしてしまう、上役の気持ちを代弁してみたいと思います。
こんな感じで、本人には本人なりの”正当な理由”があるんです。
これは、端から見てとんでもない指導をしている人にも、誰にでも、それなりの正当な理由の下で行動しているんです。
正当な理由があれば、その行為は許されるのか?
高圧的態度でする以上、「指導する側が思う”正当性”」と「指導される側が思う”正当性”」は殆どの場合、合致しないので、心では納得していない事が多いです。
恐怖政治では、真の納得は得られないのです。
でも、前述したAさんタイプは、それしか手段を知らないのかもしれません。
しかも、最初は「正当な理由」という旗を掲げて、高圧的に指導を始めたとします。でも相手の言い訳や、反省の無さを見て逆上し、怒りのコントロールを失ってしまう。
気が付くと、「正当な理由」という旗は、地面の上で粉々に砕けてしまっていた。
人知れず後悔の念と、嫌~な後味だけが残り、酒の力を借りてしまう。
覚えておきたいのは、人は人を変えられないという事です。
変えられるのは、その人の気付きや目覚めからのみです。
この記事を、参考にしてみてください。
怒りが湧いたときに対処ではない 日頃の”気”をどう出すか
パワハラを何故繰り返してしまうのか
上司、先輩、指導者、先生、親、これらは皆、当事者から見たら「上役」です。
上役とは国語辞典で引いて見ると「職場で自分より地位が上の人。特に、自分の属している部署での上司。」となっていますが、字から読み解けば、「上の立場の役を任された人」です。
つまり、たまたま今、上の役割を任されているだけで人として見れば平等ですよね。
日頃の気持ちをコントロールしないで、怒りが湧いてきたとき、湧きそうなときに対処しようとしても、それは難しいことです。
その意味ではアンガーマネジメントという技術があります。
アンガーマネジメントとは、怒りをコントロールすること、そして、その対処術のことです。
しかし、これは小手先の手段であって、根本的な解決にはなりません。
なぜなら怒りは大小さまざまな程度があるのと、正義感から湧いてくる怒りは、意識の中で正当化するので、ブレーキ、コントロールを自らかけないケースもあり得ます。
怒りには「私憤(しふん)」と「公憤(こうふん)」があります。
多くの場合、上役や指導者が抱くのは公憤です。
公憤とは、自分以外のものを傷つけられた時に抱く怒りです。
“自分以外”とは組織だったり、相手(選手・部下)そのものだったりですが、その場合、怒りに満ちた指導者は相手(選手・部下)を攻撃者とみなし、壊されている何かを守ろうという意識になります。
だから、指導者にとっての指導は、正当防衛であり、正当な理由がある自衛手段、指導なのです。
そして、実は公憤は私憤よりも、怒りの根をどっぷり下ろし、根に持ちやすい性質があります。忘れにくいのです。
だから、選手・部下が同じ過ちを繰り返すと、導火線に火が付きやすいのです。
多くのパワハラ指導者が「もう二度としません」と言いながら、繰り返してしまうのはそのためとも言えそうです。
日頃の訓練 メタ認知で克服
前置きが長くなりましたが、日頃から出す”気”を陽の気で満たす訓練が必要です。
詳しくは、こちらの記事を読んでください。
もう少し簡単に言うと、心の状態がポジティブ(楽しい、ワクワク、優しい、感謝、慈しみ)などの気持ちになっているか、という事です。
訓練するとは、客観的に第三者の目となって自分を見つめてみるということになります。
これをメタ認知といいます。
メタ認知とは認知心理学用語で、自分の行動、考え、人格、感情を、別の立ち場から見つめることです。
ネガティブな考えが浮かんだ時に、すぐさまメタ認知を行えるよう訓練することです。
大体、怒りとは「なんで怒りが湧くんだろう」と突き止めていくと、「恐怖」に行きつくといいます。
つまらない拘りも、怒りが湧く動機となります。
メタ認知を行うことで、「大事な拘り」が「つまらない拘りだった」と気付くことも多くあるはずです。
今回も最後まで、お読み頂きありがとうございました。
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