怒りに任せて攻撃してくる相手への対処法

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パワハラ問題がクローズアップされている昨今ですね。

自分がパワハラの直接被害がなくても、今のストレス社会では、いつ被害者になるか解らない時代です。

また、当事者ではなくても、そのようなパワハラ現場を目にすることはあるかもしれません。

怒りのエスカレートを制御できない相手であれば、その人に近々ない、可能なら逃げることが一番です。

しかし、逃げろと言われても、現実的に難しいケースもありますからね。

そのような時は、自分の中で解決していくしかありません。

私憤と公憤

まず、見極めたいのはハラスメントをしてくる相手の怒りは、私憤なのか、公憤なのか、ということ。

私憤とは「自分の個人的な事柄で怒りを覚えること」で、公憤とは「社会やチームのためを思い、自分の利害をこえて感じる怒り」となります。

相手の怒りの大半が私憤の場合

相手の怒りの根源が、チームや組織のためではなく、”自分の都合”が大半ならこちらは、チームの為の意見を言ったり、それを期待しても仕方ありません。

相手は自分の利益にしか、興味がないのです。

つまり、同じ不平を抱えている仲間と、相手の更に上役に相談するしかないでしょう。

直接相手に正論を振りかざしても、何も解決しません。

もしくは、「よいしょ」と「ごますり」をしていれば、パワハラの難は回避できるでしょう。

相手の怒りの大半が公憤の場合

厄介なのは、「公憤」で怒りをぶつけてくる相手です。

この相手は自分の利害ではなく、チームの為、組織の為、またはこちらの為に熱血になり、怒りをぶつけてきます。

一見、幼稚な私憤をあらわにする相手より、まともに見えます。

しかし、公憤の怒りをぶつけてくる相手は、「親心」「正義の鉄拳」「愛のムチ」「教育」「天罰を与える」のように、自分の怒りを正当化して捉えているケースが多いものです。

「自分の場合は、世間のパワハラとは違う、心があるのだ」とか、まるで正義の味方、熱血教育者のような気でいます。

しかも、私憤は怒りの深さが浅く、根を持ちにくいのに対し、公憤は怒りが深く、根に持ちやすいと言います。

しかしこのタイプの人は、怒りのコントロールが下手ですが、正義感が強いケースが多いです。

なので相手の罪悪感に、訴えかけることを考えてみましょう。

脳には自分の行動を監視する機能が備わっていて、人を傷付けてしまうと嫌~な気持ちになるものです。

人は傷つくと、本能的に悟られまいとしますが、このような相手には敢えて「悟らせる」ことも考えましょう。

相手が「言い過ぎた」と嫌な感情が尾を引く経験を、何度か繰り返すと自浄努力をするかもしれません。

最後の͡瞽女(ごぜ)・小林ハルさんの教え

結論から言うと、「人は他人を変えさせることはできない」のです。

そこで、少し重いかもしれませんが、ある盲目の女性の生きざまの話になります。

生きざまというか、この記事ではこの女性の立派な考えの、ほんの一部を紹介します。

「極上の孤独」で話題を呼んだ下重 暁子さんの、著書「鋼の女 最後の͡瞽女・小林ハル」という本があります。

これは、下重さんが深く影響を受けた方「小林ハル」さんの生きざまを描いた本です。

小林さんは明治33年、新潟の農家に生まれます。生後3ヶ月で失明してしまいます。

農家では失明した子は役に立たないと、8歳で瞽女に出されます。

瞽女(ごぜ)とは、盲目の女性が三味線などを弾いて巡業し、お金を貰い受ける人のことで、何人かのグループで巡業を行っていました。

巡業中はそれは、厳しいなんて言葉では言い表せない、殴る、蹴るの暴力をはじめ、酷いイジメや嫌がらせを受けたと言います。

しかし小林さんは逃げ出す事もできず、じっと耐えてきました。

昭和53年に、「無形文化財保持者」に認定され、昭和54年には「黄綬褒章」を授与します。

下重さんが、小林さんへの取材で言った言葉に「親切な人と歩くときは”お祭り“で、嫌な人と歩くときは”修行と考えた」と仰っていたそうです。

この言葉を聞いた時、以前読んだ斎藤一人さんの本に書いてあったことを、思い出しました。
それは、次のような事でした。
職場に意地悪な人がいて、悩んでる人がいる。
でも、意地悪な人が1人で、他の大勢が意地悪でないなら、意地悪でない人のとを「ありがたい」と思わないといけないね。
意地悪でない人の存在を忘れて、いつも頭の中は意地悪な人の事ばかり。
確かに、これだと負の連鎖から抜けられる気がしませんね。
小林ハルさんは、良い人とある事を「お祭り」とまで捉えて、感謝していたんですね。
当たり前とは考えなかったのです。

波動を変える努力

波動はいわゆる、”気”のようなものと考えてください。
気持ちのありようで、発せられる周波数が変わり、波動は変化します。
パワハラの人間関係の場合、加害者と被害者は、波動の周波数が合っていることが考えられます。
合っているというと、“同じ・同質という意味と、“異質だけど引き合うという磁石で言うプラスとマイナスのような意味での「合っている」こともあります。
そうであれば、少し気持ちの在り方を変えてみて、いつもと違う周波数を出すように心がけることです。
同じ悪さをしても、先生からこっぴどく叱られる人と、先生から見て憎めないというか、受け流される人がいるのは、先生とその生徒との波動の関係もあるのです。

「メタ認知」を活用する

自分を外から観察するような感覚で、この人は何故こんな行動にでるのだろう、昔はどんな経験をしてきたのだろうと考えて、意識を他にそらします。

こんな事を繰り返すだけでも、相手を見る目が変わってくることもあります。

すると、波動の愛称も変わってくるのです。

まとめ

自分が被害者、相手が加害者という思いを一度リセットして、相手をもっと理解して、自分の行動や、発する波動を見直してみることも大切です。

でも、耐えがたい苦痛を受け続けることで、病気になるようではいけません。

そのような時は、内部告発なり相手の頭が上がらない人への相談をしてみるべきです。

身体や心が壊れる域になる前に、逃げ出す勇気も大切です。

今回も最後まで、お読み頂きありがとうございました。

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