憂鬱は楽しむべきもの?落ちない人はいない、逆らわず視点を徐々にゆっくり日にちをかけて逸らしていけばいい

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みなさんの周りにも、感情に波風立てない人っていませんか?

そしていつも、穏やかにしている人。

凄く尊敬します。

私もそうなりたいな、って思っています。

いや思うだけでなく、かなり努力してます。

以前からも努力はしていましたが、「成れたらいいな」くらいの気持ちでした。

でも今は違います。心底なりたいと思い、かなり真面目に取り組んでいます。

若い頃は感情の起伏も大きく、絶好調、明るくポジティブ、アクティブな状態でいることを心がけていました。

でも、落ち込むときはやはり落ち込む物です。

起伏が大きい分、落ち込む時はそれは深いものでした。

そういう時はいろいろな事柄が頭に浮かぶのですが、なんとなく敗北感を感じていたと思います。

今は前述したようにアクティブとかハイテンションよりも、穏やかでニコニコと過ごせるような自分を目指しています。

すると落ち込む事や憂鬱になることはあっても、以前より深くはまり込むことはありません。

振り子の原理なのでしょうか。

振り子は右に大きく振れれば、当然左にも大きく振れます。

なんかそんなものかな、と思っています。

私が尊敬している方のお一人、斎藤一人さんがある著書の中で仰っていましたが、「憂鬱は心の休息なので、その時はそれに任せて休ませる」というような意味であったと思います。

斎藤一人さんをご存知の方は多いと思いますが、日本一の実業家で上機嫌を「上気元」と唱えて笑顔を大切にして、いつもニコニコを本当に実践している方です。

そんな斎藤一人さんでも憂鬱な時があるのであれば、私など凡人には当然憂鬱になることはあって当たり前です。

それならば何も敗北感を感じることもなく、心の生理現象くらいに捉えて斎藤一人さんが仰るようにそのまま身を(いや心を)任せてしまえばいいかな、と思うようになりました。

でもその憂鬱な態度や発言、表情は他人の前では出さない。

一人になった時に、ゆっくり憂鬱を楽しめばいいのだ。

もちろん、この憂鬱は長期に及びコントロール不能なようであれば、適切な診断を受けた方が良いのは言うまでもありません。

時折、理由がある、ない、に関わらずフッと襲ってくる憂鬱は私のような凡人にはあって当たり前の自然現象なので、どうせならば一人になった時にドップリ味わうくらいの受け入れ方で宜しいのではないかと思うのでした。

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。

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