アジアに親日国が多いのは何故?日本は不当に侵略したんじゃない!と日本人より知っている

スポンサーリンク

ブログへのお立ち寄り、ありがとうございます。

この記事を気に入って頂けたら、シェアお願いします!

相変わらず、某国からは執拗なバッシングを受け続ける日本ですが、それは戦前、戦時中に日本がやってきた行いがひどく、それに対しての恨みがあるから・・と多くの人は教わっているかと思います。

「教わっている」とは学校だけでなく、テレビや映画、新聞などのマスメディアも含めてです。

でも日本が本当に酷いことをしてきたとしたら、なぜアジアには多くの親日国があるのでしょうか。

日本は満州国を建国しただけでなく、南下をはじめシンガポール、フィリピン、マレーシア、インドネシア、グァム・・など多数、オーストラリアの一歩手前まで進んでいました。

でもそのような東南アジアでは、日本に対して好意をもつ親日国が多いんです。

今日はそんな日本に「進行された??」国なのに親日国の1つ、インドネシアのお話を紹介したいと思います。

A.S.E.A.N.会議でインドネシアが日本を擁護した話

ネット上ではこんな話が流れています。

マニラで行われたA.S.E.A.N.会議、プラス3枠でオブザーバー参加していた日本、中国、韓国を交えての会議でのこと。

韓国代表が日本に対してのバッシング発言を延々と述べていると、インドネシア代表が韓国代表に言い放った話。

「韓国人はどうやらASEAN諸国を見下しているようだ。我々は確かになかなか発展できないでいる。
しかしもし、日本がそばにあったら、現在のようなASEANではなかったはずだ・・・」

この話はどうも作り話というか、少し盛られた話のようです。

事実はこんな話だったようです。

アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時の事。
フィリピンと韓国の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。

列席のアジアの親日家たちは、
「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった」と悔しがった。

そこで、インドネシアのアリ・ムルトポ准将は、韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。
(准将はアセアン結成の中心人物)

日本はアジアの光である。
大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。

「ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。

その時に韓国が一番困ると思う。
韓国は工業大国日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。

もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等活用することができる。
だから企業の成功は容易である。

つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。
経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。

インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と考えている。
日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで、十分アジア・アフリカにつくしていると考えている。

だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。
日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、
対等のパートナーとも言えないのではないか。」

インドネシアのアリ・ムルトポ准将

引用元 https://www.facebook.com/hanhannichi/posts/408721405944104/

何も言わない自衛官と、いつものように日本バッシングをまくりたてる韓国軍関係者、民度の差が一目瞭然です。

インドネシア軍の幹部が「アメリカと対等に渡り合ったのは日本だけ」と擁護

1973 年 4 月、マニラで開催された ASEAN 諸国の安全保障会議での出来事。

韓国代表がまたしても、というかルーティーンのように日本バッシングを始めます。

「日本帝国主義が 30 年間も韓国を侵略したために、防衛体制が確立できなかった。その責任は日本にある」との演説したそうです。

それをこの場で発言して、どうする気だったのでしょう。またしても日本からお金をたかろうとしていたのか、日本嫌いのいじめっ子を増員したかったのか・・、

するとこれもまた、インドネシアのムルトポ将軍は次のように反論したそうです。

「みずから戦わなかったくせに、責任を日本に押しつけるとは何事か。もしアジアに日本という国がなかったと仮定してみよ。1899 年の義和団事件以来、ロシアは満州に大軍を駐留させ、韓国をねらっていた。

韓国が戦わないから日本が戦った。これが日露戦争だ。韓国は日本が負けると思って、裏ではロシアとつながっていた。もし日本が戦わなかったら、韓国はロシア領となっていたことは間違いない。ロシア領となったのは韓国ばかりではない。

もし日本がなかったら、中国の北半分はロシアが支配し、揚子江以南はイギリス・フランスが支配しただろう。

遅れて登場したアメリカは、どうやって支那大陸に食い込むか企てていたのだ。

そもそも、アジア混迷の原因は支那にある。

支那はアヘン戦争でイギリスの不当な要求に屈し、簡単に降伏してしまった。

その時支那はなぜ徹底して戦わなかったのか、イギリス、フランスを大陸に引き込んで、蒋介石のように戦えば勝てたかもしれないのに。

中華を誇る支那がふがいなく負けたから、日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなった。

責任は中国にある。そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか!

もし日本という国がなかったら、アジアは半永久的に、欧米植民地勢力の支配下に、置かれていたはずである」

引用元  http://www.goyuren.jp/kokumin-no-rekisi/column-82.pdf

オランダによるインドネシアの植民地支配は残虐を極め、ドゥマック県では33万人いた原住民は12万人に、バリ島のクロボカンでは約9万人いた原住民は9千人と10分の1にまで減ってしまったと言われています。

日本人の私たちは「日本は戦争という罪を犯した」と教わっているし、確かにそういう側面もあるかもしれません。

でもそればかり、”我が国は悪いことをした”という側面ばかりを教わっていますが、外国人のほうが、日本の先人たちがやってきた別の側面をしっかり理解していることが恥ずかしいと思います。

かの占領軍司令官、マッカーサーでさえ「日本は征服戦争をしたわけでなく、自衛戦争をせざるを得なかった」と証言していることを見ても、それを知るのも大切な事と思います。

元日本兵としてインドネシアに駐屯していた中島さんのお話

これから紹介する中島慎三郎さんは、大正8年生まれで92歳でお亡くなりになりました。

もともと陸軍野砲兵第一連帯所属でしたが、5万人の兵で15万人のイギリス部隊を撃破したマレー上陸作戦の激戦にも参加しています。

昭和18年から昭和20年までインドネシアのスラバヤ、アンボンで防疫給水部の衛生兵として伝染病の消毒や薬の配布の活動をしていました。

その時オランダの植民地であった現地の悲惨な人々の力になりたく、必死にインドネシア語を覚えたのでした。

終戦しても中島さんは、インドネシアとの交流は続けていました。

そして昭和54年、当時の海部総理がASEAN諸国を歴訪し、過去の侵略戦争に対する「謝罪外交」をして回っていました。

そのときインドネシアの案内兼通訳を行ったのが、中島さんでした。

海部総理は、インドネシアの政治家たちを前にお詫びの言葉を述べます。

「先の大戦では、我が国は貴国を占領して被害をもたらし、ご迷惑をお掛けしたことを心からお詫び致します」と。

中島さんはこの言葉を、そのまま翻訳してしまったらインドネシアの人たちに笑われてしまうと思ったそうです。

なぜなら、ここに集まったインドネシアの政治家たちは、戦時中に日本軍から訓練や教育を受けていたペタだったからです。ペタとは、終戦後再びオランダから侵略されそうになった時、インドネシアの独立のために戦った、「祖国義勇軍」のことです。

彼らは日本に対して、強い感謝の気持ちを持っていたのでした。

終戦後再びインドネシアを植民地として取り返そうと、武力によって乗り込んで来たオランダに対して、日本軍の戦闘技術を学んでいた義勇軍ペタが激突します。

すると、終戦して多くの日本兵が祖国に引き上げる中、ペタを見捨てることなく、日本に帰る道を選ばず、共に独立戦争を戦ってくれた日本兵が2千人もいた事を知っていたからです。

ちなみに、残った日本兵の半数が戦死してしまったのです。

考えた中島さんは、次のように翻訳しました。

「過ぐる大戦で我が国は敗れてしまい、貴国の期待に応えることができず申し訳ございません。心からお詫び申し上げます」と。

しかし、ペタであった彼らは日本軍から日本語も教わっていたので、それも皆バレバレでした。

あとで、中島さんはインドネシア政治家たちから「ナカジマは苦労するね!」と肩を叩かれたそうです。

しかし、海部首相がアジアで謝罪外交して廻ったことに対して、インドネシアの復員軍人省元長官のサンバス将軍は激怒したと言います。

彼の言い分は、次のようなものでした。

「日本の戦争目的は白人の植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、まだ植民地主義国が残っている。

ソ連であり、そして中国もチベットやウィグルを併呑した植民地主義の国だ。

これから我々が取り組まなければならない植民地一掃の大事業は中ソが相手となる。

そんな時に行った海部演説は、日本の植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。本来、海部さんは日本の歴史を踏まえアジア・アフリカの悲願を代表して、まだ残っている植民地主義国を攻撃すべきだった。

たった一度の敗戦で大切な先輩たちの目的を忘れてしまったのか」

インドネシアでは戦時中、南進してきた日本軍を大歓迎していたそうです。

インドネシアは300年もの間、オランダによる武力支配、植民地政策が続いていました。

当時のインドネシアの人々は、オランダ人から奴隷のように搾取され、現地にいた華僑(オランダ人に雇われた中国人)から高利貸しなどで搾取されていたので、当時のインドネシア人の平均寿命は35歳だったのでした。

そんな中、南進してきた日本軍はたったの9日間でオランダ軍を追い払ってしまったのです。

当時はアジア人がヨーロッパ人に戦いに勝つなんて、信じられない出来事だったのです。南アジアは幾つものヨーロッパ列強が、植民地化して独立していた国はほぼゼロでした。

次々とアジアの諸国からヨーロッパ勢を追い払ったり、降伏させる様はアジアや中東の熱い視線を集めていました。

そして、日本人はインドネシア人を励まし、「同じアジア人だ」と仲間として扱い、自立のため、インドネシア人でペタを結成させ、教育・訓練をしました。

これが後に、インドネシアの真の独立を勝ち取る原動力となったのです。

まとめ

インドネシアのように、アジアに親日国が多いのが解る気がします。

日本は戦争には負けたけど、当初の『アジアから欧米の植民地を、すべて排除する』という目的を果たし、再び自ら経済大国として浮上したのです。

19世紀のイギリスの女性紀行家、「イザベラ・バード」は世界中を旅して紀行を書いていました。

日本については、「日本奥地紀行」で書いています。

その中で日本の印象として

「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」

引用元 ウィキペディア

と日本の印象にかなり驚き、感心しています。

さらに、日本人の労働者や仕事観についても「日本人の価値は『損得』より『善悪』を優先する民族」と讃えました。

私たち日本人が、偏った学校教育やマスコミの話ばかりを妄信していると、良き日本人としての誇りや美徳が忘れ去られてしまうのではないか、と心配になります。

こんな誇りや自負がもっと多くの日本人にあれば、今よりもっと生きやすい社会になっていたかもしれません。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

この記事を書こうと思う、キッカケを作ってくれた動画です。

この記事を気に入って頂けたら、シェアお願いします!