怒りに歯止めが利かないと悩んだら試してほしいとっておきの方法 | Tekutekuスタイル

怒りに歯止めが利かないと悩んだら試してほしいとっておきの方法

ライフ

なんで怒ってしまうんだろう・・・

そんな後悔や悩みを持つ人はとても多いのではないでしょうか。

子供に対して、部下に対して、パートナーに対して、親に対して、怒りがついつい込み上げて当たってしまうケース。

また、上司や同僚、友人や先生に対して、当たる事はなくても心の中に怒りが湧いて抑えるのに抑えきれない、顔や態度に出てしまうなんてケースも多いはず。

怒られる人も辛く、怒る人もやっぱり辛い「怒り」というものについて色々と調べたことを綴ってみたいと思います。

怒りは増幅し、身体と心をむしばんでしまう恐い感情

この前、ひょんなことから見知らぬ60代であろう男性としばらくの間、立ち話をする機会がありました。

その男性は会話から察するに、仕事はリタイヤし会社ではそこそこの立場があったであろうと推測できました。

その男性はかなり一方的に私に話していました。

内容はアメリカ大統領のトランプはバカだ、阿部首相はバカだ、芸能人の○○はバカだ、バカバカバカ・・・

どいつもこいつもバカばかり、という事で語っているうちにかなりヒートアップしていました。

私は「へーそうなんですか・・」と受け答えするのみで、ほとんど話をする間を与えてくれません。かなり一方的な会話運びでした。

よほど「なるほど、世界中あなた以外はみんなバカなんですね」と言ってみたかったのですが、見知らぬ人相手に面倒な展開になるのは時間の無駄なんでスルーしましたけど。

きっとこの人は「怒りの人」となってしまっているのだと思いました。

怒りというのは、感情任せにの話にしているとドンドン大きくなりチョットしたきっかけでも直ぐに怒ってしまうという悪循環に陥るようです。

初期仏教によると、イライラする気持ちを野放しにするとイライラは慢性化してしまい、怒りの人となってしまうと言います。

すると心は怒りによって侵され身体もあちらこちらに悪影響がでてきます。

癌も怒りの感情が作り出す病気という説まであるようです。

怒りの人は盗人より罪深いという理由

これも初期仏教の考えですが、怒りの人というのは誰も幸せにしないからという理由です。

和やかに過ごす人々がある部屋で団らんしているとします。そこへ怒りの人が1人入室した途端、部屋の空気は一変しある程度の緊張感が走ります。

怒りの人は怒っている時点で不幸であり、周りの人もビクビクする時点で不幸な状態になります。

誰も幸せな人はいなくなります。

対して盗人は他人の物を盗むことによって、他人を不幸にしますが物を手にした盗人は幸せになります。

そういう意味で盗人は自分を幸せにするので、怒りの人よりはマシ。

つまり、怒りの人は不幸以外の何も生みださないという考えなのです。

怒りの種類

怒りの背景には必ず「不安」が存在すると考えられています。

他人への怒りは実は「自分への怒り」という考え方もあります。

心に余裕がある人は、チョットやそっとでは怒りを感じませんよね。軽く受け流せるのです。心に不安を抱えている人ほど、切羽詰まっている人ほど怒りと隣り合わせになっています。

これは心の防衛システム「防衛機制」が関係してきます。

防衛機制とは無意識に行う、不利な不安な事柄を都合よく解釈を曲げて自分の心を守ろうとする反応です。

心の奥底では自分自身に腹を立てているのに気づかずに、他人のせいだと思い込んで他人を恨んだりします。

古代インドに伝わる怒りの種類~初期仏教より

ド―サ  基本的な怒り

こころの中にポッと浮かんだ「いや」とか「退屈」といった負の感情のこと。

一般的に自分の中で小さく沸き上がった心の状態で、他人からは感じ取られません。自分でも気に留めず気付かずに時が過ぎてしまう事もあります。

ヴェーラ  怒りの増幅

心に浮かんだドーサを放置して育って憎悪となった状態。

顔がこわばり、自分でも怒りを認識し他人からも読み取れるほど。

ウバナーハ 恨み

心に浮かんだドーサを繰り返し思い出しては怒りを増幅してしまう状態。

記憶という事実に妄想が加わり、忘れがたい恨みに変わっていきます。

マッカ 人を軽視したい気持ち

他人を見た時に「自分よりも下に見たい、見下したい」や悪いところ探し、傷や弱点を探る気持ちは「基本的な怒り ドーサ」の一種です。

下と見たいのに、自分にはない能力を見せつけられ、それを認めたくない気持ち。

「彼は確かに○○は優れているが△△が全く出来ていない」などと批判する。

バラ―サ  張り合い

ドーサの一種、「相手に勝ちたい」という感情が増幅されて相手を潰したい、際限なく戦いを仕掛ける状態。相手を打ちのめしても尚怒りが収まらず、攻撃を止めない。終わりが見えない怒り。

イッサー  嫉妬

マッカと同じく最初のドーサの一種である、他人を見た時に「自分よりも下に見たい、見下したい」という気持ちがあるのに、自分に無い優れている部分を見せつけられると、何故自分にはあのような能力が備わっていないのか、と自分に向けた怒り。

相手に向けられるとマッカとなり、自分に向けられるとイッサーになる。

マッチャリア  物惜しみ

幸せを感じてもそれを人と分かち合うことを拒み、独占しようとする状態。

人に幸せのお裾分けなどしては、損をすると思い込む。

クックッチャ  後悔

過去の自分の失敗や過ちを繰り返し妄想し、ひどく嫌な気持ちにとらわれてしまい自分に対して怒りを持つ状態。

過去にとらわれ前に進めないので、自己破壊につながる。

ドゥッバッチャ  反抗心

他人の忠告、教えに反発し拒否をする。他人や世間との対話をも拒否してしまうので成長がとまってしまう質の悪い怒り。

ビャーパーダ  激怒

全ての怒りのもとドーサが止めどもなく大きく成長した状態。自分も含め全てを破壊したい衝動にかられる。

怒りの理由はどうでもよく、理由すら自分でも解らない。

目に触れるものすべてを壊したくなる、無差別殺人などにも通じてしまう。

昔も今も人の感情には変化はないようですね。一口に「怒り」と言ってもこのように細かく分類していた文化があると知った時に、古代から人は怒りという魔物とどう向き合うべきか?を考えていたのですね。

幸せになるには怒りに対するコントロールが必須なのは間違いなさそうです。

公憤と私憤

公憤と私憤をザックリ説明すると、「公憤」とは公に対しての攻撃に怒りを感じることで、例えば綺麗な公園で誰かがポイっとゴミを池に投げ捨てたのを見かけて「けしからん!」と怒りを覚えたらそれは公憤となります。

「私憤」とは自分に対しての攻撃に怒りを感じることです。朝会社へ行くと部下と廊下ですれちがい、こちらが「おはよう!」と挨拶をすると部下は挨拶を返さなかった、その時怒りを感じたらそれは私憤です。

公憤はその理由が正論である場合が多く、他人からも共感を得ることが多いですが、気を付けな出ればならないのは公憤の怒りは成長してしまい易いことです。

私憤をブチまけてしまうと、周りからはヒンシュクを買ったり叱られた相手からは恨みや反発を持たれたりします。

この場合気を付けなければならないのは、私憤の怒りは忘れてしまい易いのですが、相手から持たれる怒りは恨みと変わったり、成長させてしまい易いのです。

怒りの収め方

怒りをコントロールしようと考え出されたアンガーマネジメントでは、怒りのピークはたったの6秒なので、その6秒間を何とか乗り切ろうという「6秒ルール」があります。

また、怒りの背後には不安や恐れがあると言います。(一次感情)

また、納税額日本一に何度も輝いた企業家の斎藤一人さんは、人は許すことを学ぶためにこの世に修行にきている、とも仰っています。

怒ることのバカバカしさを知る

そもそも何故怒りを抑えた方が良いのか、怒りによるリスクってどんなものがあるのか。

怒りに任せて考えたアイデアは思慮が浅く、冷静な判断に劣ります。

さらに怒りに満ちた姿は他人から軽蔑はされても、決して尊敬はされません。

何せ怒りに満ちた姿は格好悪く、幼稚でさえあります。

そして、自分も相手も周りの人も嫌に気分にします。だれも幸せにはなりません。

怒るときに表れる身体の変化を逆応用して怒りを遠ざける

人は怒ると身体的にどんな変化があるのでしょうか。

人は怒りを感じるとアドレナリンというホルモンが分泌されて、体内で消耗するまでに5秒から7秒の時間がかかるそうです。

そこに怒りのピークがくるので、アンガーマネジメントでいう「6秒ルール」とも重なります。

それと、身体が熱くなり呼吸が浅くなります。

そう、呼吸が浅くなる・・・ここにヒントがありました。

ホルモンの分泌や体温などは自分ではコントロール不可能です。

しかし、呼吸なら自分の意思でコントロールができますよね。

ですので、これを逆に活用してみるのです。

つまり、怒りを感じたら呼吸を深く心掛けるのです。深呼吸でもいいですが深呼吸だと相手から見てあからさまに怒りを鎮めようとしていると映るかもしれません。

「楽しいから笑顔になる」と認識されていますが、「笑顔でいると楽しくなる」ということも実証されています。

身体の変化を逆に利用することによって怒りを鎮めるのです。

最近私が試している怒りのコントロール方法はこの呼吸法?が最高に効果があります。

まとめ

怒りの元となる一次感情、不安や恐れと客観的に向き合うことも大切かもしれません。そうすることで意外と恐れに足らないという事も気付くかもしれませんし。

また、「こうでなければならない」という拘りにも目を向けて、緩めるのも必要かもしれません。私たち現代人は気持ちでニュートラルな部分が少ないような気がします。

喜怒哀楽の感情の中で一番大きなエネルギーを持つとされる「怒り」です。放置して成長していまってはそうそう簡単にはコントロールができないでしょう。

怒りは生きていく上で必要な感情でもあるとは思いますが、コントロール下に置かなければ不幸になる魔物でもあるのです。

この記事が誰かの参考になれば嬉しいです。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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