政治に対して、国民がシラケていると言われて久しいです。
国や政治家を当てにする姿勢も、反省に値するかとは思いますが。
大国日本が抱える問題は複雑に絡み合って、深い物があるのは言うまでもないです。
結局のところ、最近世で問われている心の在り方が大事なのかな。
南米ウルグアイで2010年から2015年3月まで大統領を務めたホセ・ムヒカ元大統領の事を思い出します。
こんな一国のリーダーも居たんだな、と思い返して書くことにしました。
もちろん、先進国のリーダーとは色々な面で勝手は違うでしょう。
でも現実にこんな心を持った大統領がいたなんて、人類も捨てたものではないなと思いを巡らせてしまいます。
世界一貧乏な大統領ホセ・ムヒカ大統領ってどんな人?
ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカさんはどういう人なのか、簡単に紹介します。
貧しい家庭に生まれ育ち、子供の頃から働き家計を助ける。
当時の軍事政権に反発して左翼ゲリラ組織に加わり活動、銃撃に倒れることも。
軍事政権に逮捕され政権が倒れるまで、13年の監獄生活をおくります。
ここまで見ても非常に強い志を持ちながら、行動派なお人柄が伺えます。
そして後に大統領になってからのエピソードです
〇愛称はエル・ペペ
〇趣味は花の栽培
〇大統領公邸には住まないで郊外の質素な家に奥様と住んでいます。確か前にテレビで見た時は愛犬がいました。
本当に質素なお宅でした。
〇車は友達から譲り受けた、ホルクスワーゲン・ビートル1台のみ。
〇余りの貧乏ぶりにほんのチョッカイのつもりなのか、アラブの大富豪が「その愛車を100万ドル(1億円強)で買い取る」と打診してきたことがあるそうです。
なんとその時にムヒカ大統領は「譲ってくれた友人を傷つけるので絶対に売らない」と断ったそうです。
〇大統領報酬の大半を、寄付に回して自分たち家族は月に1,000ドル(10万円強)で暮らしていたそうです。
〇テレビで市民がインタヴューに答えている様子では、その市民は夜中に田舎道を一人で歩いていて、通り過ぎる車に手を振りヒッチハイクをしていたそうです。
しかし治安も良くない貧しい国なので、皆に無視されていて困っていました。
やっとのところ停めてくれる車があり、中の男性が窓を開け「乗りなさい」と言ってくれます。顔を見るとその車の中の男性はムヒカ大統領だったそうで、大変驚いたというエピソードが紹介されていました。
〇海外の会議などセレモニーに出席しなければならない時は、隣国の大統領機に乗せてもらい、相乗りで行っていたそうです。
ムヒカ大統領は、贅沢な大統領専用機などは持たなかったといいます。
リオ会議でのムヒカ大統領のスピーチ
2012年6月22日に行われたリオ会議 (Rio+20)
このリオ会議は地球環境の未来について、話し合う世界会議でした。
世界のそうそうたるリーダーが集まり、地球環境の未来のあり方についてスピーチをしていくというものです。
ただ各々自分のスピーチが終わると、会場から退出してしまうリーダーたち。
ウルグアイという小さな国のスピーチの番の頃には、もうほとんど会場にはビッグフェイスは居なくなっていたそうです。
そんな中の、魂のスピーチです。
以下、ホセ・ムヒカ元大統領のスピーチです。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。 私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。 午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を、インド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。 息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか?
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか? 可能ですか?
それとも、別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちは、このような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなく、この無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような、共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか? このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。 逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。 幸せになるためにこの地球にやってきたのです。 人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。 ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。 消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。 これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。 マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。 昔の賢明な方々、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています 「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。 私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。 そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。 でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。 ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。 こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。 私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。 そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。 毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。 そして自分にこんな質問を投げかけます
:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。 発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちの、もっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素である、ということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
参考 http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/
改めて私もエゴからエヴァーに、出来るところから行動していこうと思うしだいです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
追記:
この記事を書いた7ヶ月後、ホセ・ムヒカ大統領は来日しました。
日本のマスコミなどが、こぞって日本の良さを見てもらおうと名店のレストランや、ラーメン屋、神社の縁日なのに誘い出していました。
私はこれらの映像を観ていて、日本人が思う「良さ」とムヒカ大統領が持つ「良さ」のギャップの深さを思いました。
ムヒカ大統領は、接待してくれた日本人たちに失礼の無いように、笑顔で振る舞うシーンもありましたが、本質のところでは「勿体ない」とか「贅沢を嘆く」というシーンもチラホラあったからです。
中には「貧しい大統領を満足させるには・・・」なんてことを言う人までいました。
視野の違いに、テレビを観ていて恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。
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