今回の記事はこちらの記事の続編です。
前編では、欧米列強の白人がアフリカ、南米、北米、南アジアへ次々と武力によって植民地支配をしていった様子を書きました。
「植民地」とはどういうものか?
その実態は教科書や学校の教育では習わない、人が行うものとは思えないほどの残虐で悲惨なものでした。
アフリカの民族は白人の奴隷として、生きるためにひれ伏しました。
でも北米のインディアンは誇り高く、奴隷になるくらいなら戦って「死」を選んだのです。
だからインディアンは北米とカナダで1億人近い人々が、白人によって虐殺されることになってしまいました。
白人はインディアンを奴隷にすることは諦めて、遠くアフリカから奴隷を連れてくる事になりました。
学校では教えない白人による北米インディアンの虐殺
話が少しそれてしまうかもしれませんが、私たちアジア人と同じような価値観を持ったモンゴロイド系の北米インディアンが白人によってどんな道をたどったか知れば、日本や中国、朝鮮が白人の植民地とされたとき、どうなってしまうかの察しがつきます。
インディアンは白人のアメリカ入植を手助けすらしていた
イギリスから白人たちが初めてアメリカに渡ったとされるのは、1620年のメイフラワー号の一団とされます。
彼らはキリスト教プロテスタントの一行で、イギリスでの宗教弾圧からのがれてやってきたのです。
いわば宗教戦争難民となった白人の彼らは、アメリカ東海岸での厳しい寒さや飢餓に苦しんでいました。
すると原住民であるインディアンが見かねて、彼らを助けます。
そもそもインディアンたちは「自然」や「土地」を奪うとか、所有するとか、そんな発想はなく、「必要な分だけ使わせていただく」「自然や食料、土地はみんなの物」という価値観で生活していました。
なので白人たちが飢えていれば食べ物を与え、この土地で永続的に自立して住んでいけるよう穀物の栽培方法からタバコの栽培方法まで、こまった白人たちのために何でも提供していきました。
この「助け合い」「共存感覚」は古き良き日本にもあった考えです。
しかしこの態度が、白人たちに付け入る隙を与えてしまいました。
白人たちは自然も資源も、食料も金品も奪い所有するという価値観で生きています。
それでも次々と増え、やって来る白人入植者たちに食べ物、住む土地を提供するインディアンたち・・・
そうです、インディアンにとって全ては「みんなのもの」ですから。
入植者たちが増えると、今度は新天地の開拓、資源の奪取を求めて白人たちは動き始めます。すると労働力として今までのように、白人たちは現地人であるインディアンを奴隷として使おうとします。
しかし誇り高いインディアンたちは、一部の部族を除いて決して奴隷となることに抵抗します。
そうして「白人」対「インディアン」の闘いの歴史がスタートします。
白人たちがおこなったインディアンに対する虐待と虐殺
前述したように、インディアンたちはアメリカとカナダ合わせて1億人弱が虐殺されました。
かのアメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンも「インディアン絶滅政策」をとり、インディアンは虐殺を余儀なくされます。
「白人でなければ人でない、獣と同等」という白人至上主義と、「動物は神から与えられた恵み、殺しても良し」というキリスト教の価値観が相まって、バッファローともろともスポーツハンティングとして、銃口の的となりました。
・・・何の罪悪感もなく、白人にとっては獣ですから。
中でも有名なコロラド州で起きた「サンドクリークの虐殺」ではインディアンを殺して頭の皮を剥いで持ってきた者に賞金を出し、耳までついていたら更に高額な賞金を差し出すという仕組みのもとで実行されました。
老人も、子供も、男も女も皆容赦なく皆殺しされました。
白人とインディアンの混血のロバート・ベントが白人軍の道案内役をさせられた惨劇後のロバートの報告書が次の内容だそうです。
数少ない男たちは、全くの丸腰だった。女たちは自分たちと子供たちを隠すために、死に物狂いで土手の砂を爪で引っ掻いて穴を掘っていた。私はインディアンたちを保護しようと、そちらに近付いて行った。
土手の陰に、5人のインディアンの女たちが隠れていた。軍隊が近づいてくると、彼女らは走り出て、自分たちが女であることを知らせようとしたが、兵隊たちは彼女らを撃ち殺してしまった。 3~40人の女子供が穴に隠れていたが、女たちは6歳くらいの女児に白旗を持たせて送りだした。この女の子が2、3歩足を踏み出したか踏み出さないかのうちに、彼女も射殺されてしまった。穴の外に4、5人女がいて、慌てて走り出した。彼女らは全く抵抗の気配を見せなかった。殺されたインディアンたちのすべてが、米兵によって頭の皮を剥がれていた。
一人の女は腹を斬り裂かれて、胎児を引きずり出され、その胎児は脇に転がっていた。これはスーレ大尉も事実であると私に証言している。私は何人か、武装した幼い子供が母親と一緒に射殺されるのを見た。「戦い」のすぐ後に、私は地面を調べてみた。
私は、死んだインディアンの数を400~500人だったと判断しなければならない。ほとんどすべて、男も女も子供たちも、頭の皮を剥がれていた。
私は、不具にされた1人の女性に会った。どの体も恐ろしく切り裂かれており、頭蓋骨が叩き割られていた。私は彼らが射殺された後、このようにされたものと判断している。
これが、白人の本質です。「武士の情け」なる美徳をもつ日本人からみると、この野蛮な感覚は理解ができません。
彼ら白人は有色人種を「野蛮人」と呼んでいるのですが、インディアンも黒人もこんな卑劣で野蛮なことは真似できません。
世界で残された非植民地国は唯一東アジアだけになった
私たち日本人には、前述したような白人たちのインディアンに対する残虐さ、前編であげたスペイン人が現地人をとろ火でジワジワと焼き殺すようなマネは到底できません。
こんな悲惨な状況を知っている日本にとっては、植民地になるような国難は絶対避けなければならないわけです。
そこで自国は「富国強兵」で資源がないながらも、先の戦争でロシアを破り世界でも一目置かれる程の強国となりました。
しかし、隣国が貧弱過ぎたのです。
中国も朝鮮もです。特に朝鮮は2千年もの長い間、中国の属国状態で、朝鮮の皇帝は何をするにも中国にお伺いを立てなければ決められないような国で、中国による侮辱と裏切りを繰り返していました。
貧しく、学校教育制度もなく、インフラもなければ階級による奴隷制度まであったのです。
朝鮮半島で日本の統治が始まる前は、字を読める人が人口の2割ほどしかいなかったのです。
当然ロシアは南下するなら、まず弱小国家である朝鮮を落とそうと考えます。
そこで先の日露戦争が勃発したのでした。
まさしく日本は朝鮮半島の領土を守るため、立ち上がったのです。
当時も今も、国力の差はジャイアンとのび太君ほどの大差の国同士です。
あ、もちろん日本がのび太君です。
大きなリスクを知りながら、朝鮮半島のために戦ったのです。
キッカケは朝鮮皇帝は当時アジアでは唯一、いや白人以外の国では唯一、欧米に肩を並べることができる軍事力を持つ日本に助けを求めて来たからでした。
日本にとっても、隣国の朝鮮がロシアの手に落ちる事は脅威でした。
日本は満州国を建国し、朝鮮半島を併合して東アジアに「大東亜共栄圏」という今でいうEUヨーロッパ連合のような構想を持って、欧米列強からアジア全体を守ろうとしたんです。
日本人は欧米のような、「奪ったもの勝ち」とかそういう発想は、白人より希薄です。
それより「みんなで強くなろう、豊かになろう」という発想でした。
その証拠に日本は発展していたとは言え、まだ東北地方の経済的、インフラ的発展は途上でした。
それなのに、その東北の発展より先に朝鮮のためにお金を注ぎ込みました。
大学、学校教育制度の構築、奴隷制度の撤廃、インフラ整備、朝鮮人も平等に「日本人として」選挙権、被選挙権も与え、日本の国政にまで参加できるようにしました。
学校教育では母国語を強制的に奪うこともせず、ハングルを必須課程に盛り込んだりしました。
上記は政策レベルの話ですが、庶民レベルでも朝鮮人と日本人は仲良くやっていたようです。
参考になるサイトです。
満州国が国際連盟に認められなかった理由
日本が中国国内に建国した「満州国」を国際的に認めるかどうか、これを決めるべく国際連盟は「リットン調査団」を編成し、満州国の実態調査に乗り出します。
結果、国際的には満州国は「認められない」という決断が下され、日本は国際連盟を脱退することになります。
リットン調査団はどんな報告を国連にあげたのでしょうか。
それは、日本の統治が欧米の植民地統治と全然違う、異質のものだったからです。
日本の統治はその国の自立を助けるような、現地の人にも主権を認め、真に発展を助けるものだったからです。
これでは満州の土地を、喉から手が出る程欲している欧米からするとマズイ展開なわけです。
欧米にとっては、満州の日本統治をすぐさま止めさせないと、つけ入る隙がなくなってしまします。
日本は欧米がやってきた有色人種への、劣悪な植民地支配を知っていましたから、今回の国連の決議には納得するはずもありません。
熱河作戦の前から、国連脱退の意思はあったのだと思います。
当然ロシアは南下進撃するならまず、弱小国家である朝鮮を落とそうと考えます。
植民地か戦争か
特に満州を欲しがっていたのはアメリカでした。
ABCD包囲網は、こうして始まりました。
この包囲網によって、資源がない日本はいよいよ最悪の国難が現実となることになりました。
欧米列強の属国です。しかも今の朝鮮半島のように、日本がロシア側とアメリカ側とで2分割される可能性までありました。
このまま何もせず、国連のシナリオ通りに動いて白人列強の属国、植民地になるか、戦争に打って出るかという選択しかありませんでした。
ちなみに植民地となれば民間人や女性、子供まで犠牲者となり、国民の50%にも上る可能性だってありました。先に述べた白人による有色人種への残虐さ、獣とみなされた扱い・・
戦争の場合、当初の思惑では犠牲者は兵士が大半でした。
実際、国民の当時の人口は7,138万人に対して、戦争犠牲者は310万人で人口の4%でした。ただし、この犠牲者数には民間人80万人が含まれていますので、兵士の犠牲者は3%です。
パーセンテージが低いからって良いという話ではありません。
命の尊さは数では計り切れません。
原爆を含めて、民間人を狙った無差別攻撃は当時だって国際法違反です。そのことから、民間人80万人は想定外のはずです。
今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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