古代のギリシャでは時間の概念が2つあったそうです。
ギリシャ神話の中では、2つの時間神がいたそうで、それが「クロノス」と「カイロス」です。それぞれの時間神の言い伝えが、それぞれ違った時間の概念として考えられるようになったようです。
クロノスは私たちが一般に理解している、過去から未来に刻まれる時間軸のことです。そしてカイロスは色々に解釈されていますが、感覚的な時間の事のようです。
また時間神のカイロスは「チャンス」という意味を持っていたそうです。
多くのカイロスに対する解釈は「楽しい時間は短く感じる」「退屈な時間は長く感じる」なんて話になっています。しかし、このカイロスという概念はそんな話では収まらないような気がします。
カイロス時間についての考察
ここからは私なりの解釈なのですが、どうかお付き合いください。
この世界には通常私たちが理解しているクロノス時間が流れ、その中で平等に時間軸を過ごしています。
しかし、同時に歪んだ時間軸カイロスが隣の次元で流れているという推測です。
ある学者によればこの世界とは別の次元が何十にも存在すると言います。
カイロス時間はこの世の次元とごく近い次元に存在すると過程します。
私たちは意識がある時点まで覚醒すると、カイロス時間に入り込むのではないかという考察です。
昔、赤バットで名をはせた打撃の神様、川上哲治氏が「調子のいい時はボールが止まって見えた」と言っていました。
また、私たちでも沢山の「やらなくてはならない事」が目の前にあったとき、「うゎ~、もうだめだ・・」と受け身の気持ちでやった時は当然のごとく物凄い時間がかかってしまったりします。
でも同じような条件でも、不思議と「よし!やってやろうじゃない!!」とグッと集中力を高めてやり切った時、「あれ?まだこれだけしか時間が経ってなかったの??」というようにあっと言う間に終わらせてしまい、あとで考え直しても「どうやってこれだけの量をこんなに短時間で終わらせたのだろう」と自分でも信じられないような経験をしたことはあるのではないでしょうか?
私は学生時代に小、中、高校とサッカーをやっていたのですが、ある大事な公式試合で不思議な印象の経験をしています。
それは、1点差で負けているゲームの後半でした。私のポジションはサイドバックでした。最後のチャンスとなり得る自チームが攻めの場面、こぼれ球が私の方へコロコロと転がって来ました。
そこから私は無意識にロングシュートを放ったのです。そのボールはゴールポストより少し上に向ってライナーで飛んでいきます。
その時の光景がまさに「スローモーション」でゆっくり私の目には映っていました。
するとボールはゴール間際になってコースを変えて斜め下に落ちていくのです。相手キーパーはコースを見誤ったと感じたのか焦りの形相をで口を開けてボールを見ますが、手が追いつきません。そして、私の放ったロングシュートは相手ゴールに突き刺さるのでした。
この光景が全てスローモーションで、相手キーパーの表情の変化までゆっくりと見ている自分がいました。
これらの例は真に当事者が他の人とは違う「カイロス時間」に入った状態になっているのではないか、と思うのです。
そして、その時の当事者はかなりのレベルで意識が覚醒している状態になっていると思うのです。
いわば、カイロス時間に入るというのは「時間を自在にコントロールし得る」または「カイロス時間の中では事象を自在にコントロールし得る」という事を古代ギリシャの人々は理解してカイロス神を「チャンスの神」と呼んだのではないでしょうか。
もう1つ例を挙げれば、ウトウトと気持ちよくうたた寝をした時「はっ!」と目を覚ますと思うのよりも全然時間が経っていないという経験もありますよね。
これ、うたた寝は大変に気持ちが良くアルファ―波が脳に放たれていると言います。これもある次元まで覚醒している時なのではないでしょうか。
引き寄せの法則で知られる「想いは現実化する」という話ですが、これもアルファー波が出ている状態=ウトウトとしている状態に思いを強く念じれば効果があると聞きます。
(船井総研の創業者船井幸雄氏が本の中である科学者のコメントとして紹介していたと記憶しています)
そう考えても、「ウトウト」⇒「アルファー波」=「覚醒」⇒「カイロス時間に突入」という構図が考えられ、「あれ?まだ時間がそんなに経ってない」という感覚になるのではないかな、と考える訳です。
今日は独断と偏見に満ちた内容でしたね。すみません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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